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「持続可能な社会」(Sustainable society)づくりと「生きる」こと

北海道の大自然が色づき、実りの秋を満喫させる爽やかな10月になりました。
自然の色彩の変化は、幼児期のお子さまの感性を高め豊かな感受性と美的情操を深めます。

お子さまの描く幼児画の色づかいが急に豊かになるのもこの時期からです。そのことと合わせて、お子さまの感情表現や行動に変化がみられるようにもなります。大自然の変化がお子さま方に与える力の大きさに驚かされます。

さて、去る9月21日の「オリンピック記念スポーツフェスティバル」では、沢山のおじいさま・おばあさま方のご来会をはじめ、ご家族総出で温かいご声援をいただき、盛会裡に終始できました。更に、役係のお母さま方には総練習段階からお手伝いをいただき、重ね重ねに厚くお礼申しあげます。ありがとうございました。

お子さまたちは、この楽しかった経験を土台にして、更に工夫を加え、発展させながら今なお余韻を楽しんでおります。

今回は、このように可愛いお子さま達の生きてゆく世の中の先行きについて考えてみることにいたします。

ここ5~6年前から政府刊行物などに書かれはじまった新語に「持続可能な社会…」と、いうことばが目立つようになりました。このことばを簡単に分りやすく言いかえますと「私たちが今住んでいる世の中が、将来にわたって同じようである世の中」ということでしょう。このことの裏をかえせば、「今と近未来の将来は変るかも知れない」と、いう不安と不透明さに人々が戸惑わされている世の中になってしまった、ということでしょう。

日本の現実社会の実体は雇用形態をはじめ、金融・生産・流通…に至るまで、日々めまぐるしく変化して行っています。個人生活につきましても、今日の生活を明日も保証される確実性は極めて不安定な世の中になりました。

私は、今改めて「人間が生きる」ということの意味を問い直したい気持ちで一杯です。

人間は誰もがいずれ死んでしまう存在ですが、生きている間は、出世したいとか、金を儲けたいとか、財産をつくりたい…とか、「欲望」に惑わされ続けます。私たちが今、生きている現実の社会では、そうした欲望が余りにも剥き出しで放置されています。資本主義社会が経済発展するためには「欲望」の存在を容認することが必要だったかも知れません。

しかし、その反面、多くの人が「欲望の持つ毒」に麻痺して、中毒状態になりました。これが今の日本の現実の社会で、決して真面ではありません。

このような世の中での子育ては至難の業です。次号では、それを切り抜ける子育ての術をとりあげます。気温の変化で体調を崩しませんように。お健やかに。

2008年10月05日