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「差別」が諸悪の根源

“人の世に生きる楽しみ、ただひとつ、人の苦しみ見るのが楽しみ” と古僧が鎌倉時代に歌を残しました。

私が中学(旧制)2年になる春休み、父の書架から取り出した本の中で読んで、大きなショックを受け2~3日食事出来なかったことを昨日のように思い出しながらペンをとっています。人間の本性を赤裸裸に教えられたような気がしたからです。

今年は、中学生の自殺といじめ問題で新学期が明けたような年でした。はじめに、不幸にして“いのち”を絶たれた前途ある少年の方々のご冥福を心からお祈りいたします。

このような悲しい出来ごとが「学校」で起こるたびに日本社会は、「犯人探し」ぶって「学校叩き」に熱中します。思いっきり学校叩きをしておいて、学校の先生はいじめのない教育をするべきだ、と尤もらしく決めつけようとする世間の論調は、放火しておいて「火事だ~」と騒ぐマッチポンプ行為を増長させるようなものです。

私は人間の本性に宿る(DNAに記録された)意地悪・バカにする・嫌う・仲間はずれにする・差別する……など、何百年、何千年の人類の歴史の中で今さら取り除こうにも除けない宿命の中で生かされている人間そのものの正体を全ての日本人が、しっかりと弁えておくべきときなのだと思います。(平和な時代にこそ)

日本の歴史を考えてみても明らかな「差別」がなかったのは縄文時代くらいまでで、稲作がはじまった弥生時代以降は、貧富の差を筆頭に、身分・性別・出身など、階層分化がどんどん進み、江戸時代の士農工商まで、「差別」は人間のDNAの中枢に鎮座していた、といえるでしょう。

こう考えますと、少なくとも日本人の居るところには、「差別」が引き金となる「いじめ」が、日本社会の隅々にまで行き亘っていることを知っておくことです。「日本人が二人集まれば、いじめがはじまる」です。

このテーゼ(These)を前提として、日本社会を構成する全てのコミュニティーのいじめ抑制方策を具体的に明確に、幼児期から学習させるべき、と考えます。

いじめを根絶させることは不可能にしても、いじめに係らない日本人の育て方はあります。その第1は、幼児期から名前を呼ぶときクン又はさんをつけて呼ぶこと。これは人格尊重・自尊意識をつくるのです。第2は、身体や生命の危険のない限り、幅広い実体験を経験させること。第3は、両親は意識的に無条件の愛情を注いで育てること。第4は、両親は子供を差別しないこと。第5は、両親は子供の前で夫婦喧嘩しないこと。

思春期の中高生の自殺の原因に両親の不和(私が死んで居なくなったら両親がケンカしなくなって欲しい、という遺書があった)があることを特記しておきます。カゼをひかれませんように!

2012年11月05日